「ぞうさんのあくび」遠藤幸三先生、ありがとうございました

今から20年ほど前、僕は、プロの作曲家をこのまま目指していくべきかどうか、とても悩んでいました。

その頃の僕は、送ったデモテープが初めて目にとまり、ある新興音楽事務所と、専属作家契約を結ぶことができました。それ以外にも、業界関係者と知り合う機会も増え、演奏の仕事を紹介していただくなど、表向きにはそれなりに順調に進んでいるかのように見えました。

しかし実際は、それに見合う実力は、何も伴っていませんでした。アルバイトの合間に、メジャー・アーティストを想定して楽曲を書いて、たまに何かしらの反応はあっても、そこから先に続かない、そういったことの連続でした。なぜそこから先に続かないのか、その理由は自分でもはっきり分かっていましたが、それを打開する方法というのは、全く分からない状態でした。

そんなある日、僕は、数年前に或るミュージック・スクールで、作詞を教えてくださった、遠藤幸三(えんどうこうぞう)先生に相談のメールをしました。自分でも力不足と分かっていながら、この世界でだらだらと続けていいものだろうか、そのうちに思わぬラッキーが起きたりするものなんだろうか、皆さんどうやって、本当の意味でプロとして音楽をやってらっしゃるのだろうか etc…

遠藤幸三先生は、eテレの「おかあさんといっしょ」の「ぞうさんのあくび」「しまうまグルグル」などはじめ、誰でも知っているような、こどものうたを、たくさん作詞されている方でした。それだけでなく、稲垣潤一さんや都はるみさんなど、ポップスや演歌なども多数手がけていて、作詞本も多数書かれていて、そのどれもが好評を博していました。

こどものうた や音楽教育の世界では、いわゆるカリスマのような方で、当時の僕にとっては雲の上のような人でしたが、作詞を習っている時に、どんな生徒にも同じように接し、どんな作品に対しても、良いところを必ず見つけ出し、前向きになるように的確にアドバイスくださる方で、しかし、その一方で、作品に対してものすごくシビアな面も持ち合わせていて、決して手放しでは褒めない先生でした。穏やかで優しく、人間的に尊敬できる方だったので、その時はきっと「この先生だったら・・・」と思い、相談したのでしょう。

ほどなくして、先生から返事が来ました。

「僕も若い頃、君と同じような理由で、悩みに悩んでいたことがありました。

音楽業界の仕事は確かに、どこから仕事が入って、どうやってお金が入るのか、はっきり確証のない、とても不安定な仕事です。今、一見華やかに見えて、世間からは売れっ子のように思われている人たちも、皆、内心は『大変だ、大変だ』という気持ちでいっぱいだと思います。

もし、そういう生活が不安でいやだとしたら、この仕事は君にとって、全く向いていないものになるね。この世界はこういうものだと、『覚悟』して入っていくしかないんだと思うよ。僕はある時、その『覚悟』をして、自分がこの世界で生きていくための道筋があることを、はっきり確信したんだ。

また、何か困ったことがあったら、メールください。」

はっきりとは覚えていませんが、そういった内容だったと思います。決して、「大丈夫だよ、君なら絶対できるよ、頑張れば夢は叶う」というような、生やさしい内容ではありませんでした。

しかし逆に、若者に媚びるような「物分かりの良い大人」を演じることなく、はっきりと業界の厳しさを、穏やかな言葉で送ってくださったところに、本当の優しさを感じました。

そこからは、音楽や、人として生きていく上でのものの考え方etc… いろんなことを教えていただきました。最初はデモテープを聴いていただいても、なかなか「Yes」という言葉が聞かれなかったのが、そのうちデモに歌詞を付けてくださるようになりました。奇しくも同じタイミングで、プロとして通用するレベルの音楽制作を、かなりの低価格で教えてくださる方にも巡り合い、僕の作る作品は、目に見えてレベルアップしていきました。

ある時、先生と一緒に作ったデモがそれなりの数になった時、その頃は先生が売り込み先などの主導権を持っていたのですが(当たり前ですよね)、僕は自分でも、そのデモをいろんなレコード会社や作家事務所に売り込みかけたくなりました。当時は、最初に入った事務所の専属作家をやめてフリーだったので、とにかくメジャー・アーティストの楽曲コンペにどんどん参加しなければ、という思いからでした。

先生に一度話を持ちかけた時、「君の悩みは、意外とほんのちょっとのことで解決するかもしれないから、あと少しこらえてくれ」と言われました。

しかし、数日もしないうちに先生の方から連絡が来て、「この前ああ言ったけれど、やっぱりデモはどんどん自由に売り込んでもらっていいよ!」と言ってくださいました。これが、自分にとっては、本当に救われることでした。この言葉の後、デモが通り、僕はスーパークリエイターの集まる事務所の作家になります。

遠藤先生なりに、きっと、今まで築いてきた人脈を利用して、「この曲はここに出して、この曲は・・・」という思惑はあったと思うのですが、それにも関わらず、「君のやりたいようにやってね!」と言ってくださったのは、実績の有無にかかわらず、本当に僕のことを信用してくださり、将来性に期待をかけてくださっての言葉だったと思います。

それから数年後、僕は「七色の明日~brand new beat~ / BoA」の作曲をしました。初めてオリコントップ10に入る、自分の名刺代わりになるような、シングル表題曲を書くことができたのですが(その年の紅白歌合戦でも歌唱されました)、その頃から、先生は僕のことを「野井くん」ではなくて、「野井さん」と呼んでくださるようになりました。先生でもあり大先輩ですし、僕はどちらでもよかったのですが、遠藤先生なりに、僕のことを本当の意味で「プロの作曲家」と認めてくださった、そのタイミングだったのだと思います。

そしてその後、遠藤先生が作詞、僕が作曲、という組み合わせで、実際に何曲か、世に出すこともできました! 岩崎宏美さん、剛力彩芽さん、春奈るなさん、山本淳一さん(光GENJI)、クォン・サンウ さん etc… 特に岩崎宏美さんに提供した「歌になりたい」は、2014年の「揖保の糸」のCMでも使われましたので、聴き覚えのある方もいらっしゃるかもしれません。

その遠藤幸三先生が、先月1/12 に、心筋梗塞で亡くなられました。まだ67歳で(実際は10歳くらい若く見えました)、本当に突然の別れでした。今だに信じられませんが、もういろんな相談事は、僕自身で考えていって、そして、先生が僕にしてくださったことを、今度は僕が次の世代の人達にしていかなければいけない、そういう、バトンを託すような意味があったのかなと、そう捉えています。

昨年10月に最後にお会いした時、

「『ありのままで』『ナンバーワンにならなくてもいい』も、共通するのは、最初からそのままでいい、というのじゃなくて、いろんな葛藤があって、努力して、その結果吹っ切れて、行き着いた考えだよね。そして、決して周りが変わったわけじゃないけれど、自分が変わったんだよね。『アザトカワイイ』も、やっぱり好きな人のために自分を変えていく『努力』だよね」

というようなお話をされていたのが忘れられません。

遠藤幸三先生の携わった作品は、おそらく今小学生以上の人なら、誰でも一度は必ず聴いたことがあると思います。それを考えたら、作詞家というのはものすごい職業で、音楽は絶対に、人生の必需品だと思います。

コロナ禍で、今世の中は大変な状況ですが、必ず乗り越えていこうと思います。先生のご冥福を祈り、、今まで本当にありがとうございました。

p.s

遠藤先生の最後に歌詞を書かれた作品は、僕がサブスクリプション でリリースした

(アルバム)

『みんなのうた』プロジェクト / 野井 洋児(Yoji Noi)

https://linkco.re/q7Y9038Z

YouTube動画でも

で聴くことができます。興味ある方は是非

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