(2003年当時)
DAWを使っての初歌レコーディングは無事に終了して。その後も少しずつ少しずつ歌レコーディングを積み重ねていって、、、遂に10曲ほど、自称「どこに出しても、絶対にリアクションがあるだろうデモ」が完成した。
アップ有り、ミディアム有り、バラード有り、そして、キュートなトワさんと大人っぽいエリカさんという、全く違うタイプの歌が入ったデモ達だ。「これでどこからも反応なければ、音楽辞めてもいい」と言ってもいい位、当時の自分にとって、自信作ばかりだった。
音楽製作のフクシ先生が、「一度に持ち曲全てをCD-Rに入れて送るよりも、2,3曲を入れて、小出しにして送った方がいいよ」とアドバイスしてくださった。その方が、リアクションがあった場合「他にも曲を聴かせてほしい」と言われた時に、サッと送ることができるからだ。
この当時のメモ書きしたノートを、ちょっと前にたまたま見たが、「将来、曲を書いてみたいアーティスト」が、10人くらい書いてあった。後に、実際に書けた人が結構いた。思ったり、口に出す、ということは、強ち無駄ではないのかもしれない。
作曲家を募集している音楽事務所や、「作曲家」という名前では書いていないけれど、アーティストや音楽制作者全般を募集していそうな、大手レコード会社など、30社くらいに、デモCD-Rを送った。
さすがに、30社全てからリアクションはなかったが、、5, 6社からは好反応があった。それだけでも、大きな進歩だ。
最初に連絡くださったところは、小さな作曲事務所で、コンペの数、アーティストなども充実していたが、ちょっと拘束がきつそうだった。音楽製作や作詞の先生繋がりのルートなんかもこれから利用する可能性があったので、惜しいなと思ったが、その時はちょっと見合わせた。この当時は、専属作家というより、フリーランスでほぼ専属だけど業務提携、という形を取る方が賢明だ、と考えていた。
リアクションが来た中で、自分の中で「ここがいいかな」と思う場所が二つあった。大手レコード会社と、少数だが超精鋭の揃っている音楽事務所だ。
とりあえずは、先に連絡が来た、大手レコード会社で、楽曲をプレゼンしていくことになった。最初に関わった、インディーズ事務所のことを考えると、信じられない話だった。しかし、そんなに簡単にコトが運ぶのかな・・・
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