(2001年)
初めて音楽事務所との専属作家契約、そしてメジャー・アーティストのコンペティション。まだまたスタートラインに立っただけで(それどころか、おそらく靴紐を結んだくらい)、そこから勝ち抜いていくことが大変なのだが、なんというか、先が見えないで、何となく頑張っているつもりの状態から抜け出て、気分がとても軽くなっていた。
それまで関わっていた、ちょっと不思議なインディーズ事務所とは離れ、、そして、とてもお世話になった、ライブハウス新宿21世紀も「卒業」することになり、昼間のアルバイトに絞った。
ここで演奏するようになってから、それまでライブハウスに行って「すごく上手だなあ」と思っていたバンドの、グルーヴのズレなどがなんとなく分かるようになったり、、勿論それが音楽の良し悪しの全てではないけれど、それなりに自分の感覚が研ぎ澄まされていっているのを実感できた。音楽の幅、引き出しもすごく広がった。やって良かったかどうか、と聞かれたら、間違いなく自分には良かったと思う。
お店もすごく繁盛していて、大変な時期だったと思うが、にも関わらず快く送り出してくださったので、その気持ちにも応えていきたいという気持ちだった。
初めていただいたコンペも無事に提出し、また、その事務所が持っているラジオ番組にも、所属作家として出演して、インタビューを受けたり、自分の曲(デモ)を流していただいたりした。正直、今思うと全然大したレベルではないけれど、やる気になる環境が揃っていた。
そしてその年の冬、あるR&Bアーティストのコンペで、初めて自分の楽曲がキープになった。「キープ」とは、「今後曲を使う可能性があるから、その曲を預からせてください」という状態だ。一部メロディと歌詞の修正のオーダーがあったので、微調整して再度提出した。
「作曲家としてのメジャー・デビューも、もう後ちょっとだ!」そういう前向きな気持ちの反面、、一抹の不安もあった。