その26 声は財産

(2001年)

オールディーズの仕事をしていた頃、以前にも書いた不思議な音楽事務所に(後に悪徳オーディションをやっていたことが分かる)、ちょくちょく楽曲を提供していたが、時々、そこの主催するライブで、アーティストのサポートバンドのキーボードを弾くこともあった。

あるイベントでの演奏を終えてからしばらく経ったある日、、僕がバックで弾いたアーティストさん達の、デモテープをあらためて聴いてみた。そしたら「おやっ?」と思うことがあった。

ライブをやった時点では、十把一絡げでアーティストさん達を捉えていたが、一人、素晴らしい声の女性シンガーソングライターがいた。カセットテープの一発録りにも関わらず、高音がとても伸びやかで、倍音をすごく含んだキラキラした声、安定したピッチとリズム感、細かいニュアンスも表現できる歌唱力、そしてオリジナル曲も素晴らしい。

(カセットテープの時代で、歌の編集もままならない頃に、ちゃんと聴かせられるボーカリストというのは、間違いなく本当に上手い人だ。)

それからしばらくして、用があって事務所のライブに足を運んだ時、偶然その女の子もいた。向こうの方から僕を見つけると、「あーっ!」と声をかけてくれた。僕はあまり顔を覚えていなかったが、二十歳くらいの、なかなか可愛い人だった。

「えっ、僕のこと覚えているの?」
「全然覚えていますよ〜!」

どうやら、有難いことに、バックで演奏した時の、自分のピアノが印象に残っていたみたいだ。ちょっとうれしかった。

「君も、ここでCD出しているの?」
「出すわけないじゃないですか〜!」

その子はなんとなく、事務所の体質を感じていたみたいで、なかなか賢い子だったのだろう。

その時は、世間話みたいなことを数分しただけだったが、帰ってからも何となく気になっていた。その後も、時々デモテープを聴き返しては「ああ、良い歌歌うなあ」と幻想が膨らんだ。

ある時、腕のある人同士で、メジャー志向のバンドを組もうと思った時があった。それは結局実現しなかったが、その時のボーカル候補として、その子の顔が浮かんだ。連絡先を聞いていたので、思い切って電話をした。しかし、その番号はもう使われていなかった。住所も知っていたので、今度は手紙を書いたが、その住所も変わってしまっていた。(ネットが今ほど発達していない当時は、怪しくない人同士なら、そういうことを教えあうのが普通だったかもしれない。)

関係者で聞けそうな人に当たったが、誰も情報を知らない。そして、、作曲家は基本、事務所のアーティストと直接連絡を取ることは禁止されている。

ああ、もう二度と会うことはないのかな、、そう思って、気持ちを切り替えた。しかし、それからも時々、その子のデモテープを聴き返しては、「僕ならこの子に、こんな曲を作って歌ってほしいな・・・」など思っていた。

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