「四つ打ち」というリズムの音楽、ダンス・ミュージック 後編

(前回までのお話)
2010年当時、日本のポップスの主流になっているサウンドが変化していることをひしひしと感じ、「このままでは対応できなくて、行き詰まってしまう」と感じた僕は、都内の、ダンス・ミュージックに特化した、音楽スクールに通うことになりました。
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そこは、大きなマンション内の一室がレッスン場所となっており、1対1のマンツーマンで、習うことができるスクールでした。
最初に体験レッスンを受けに行った時、「『いや~、今日は紅白で歌われた曲を書いた人が、体験レッスンに来たよ~』と、うちに帰ったら、夕飯の肴にできますよ 笑」と、先生に言っていただけました。
確かに、その音楽スクールは、ダンス・ミュージックの、かなりコアな部分まで教える場所だったので、どちらかというと、僕のようなJ-POPの真ん中の音楽を作っている人で、通おうという発想を持っていた人は、当時は少なかったのかもしれません。
メインの作曲の仕事がある中で、約一週間に一回、曜日を決めて、しかも宿題も毎回出て、、というのをこなすのは、かなり大変でしたが、「ここでマスターできなければ、今後はない!」と思い、頑張って取り組みました。
また、僕に急な案件が来て、当日キャンセルしなければならないような状況の時もあったのですが、先生もそれを理解してくださり、キャンセル料なども取らず、その日の回は、別の日を作って回していただいたり(今思うと、開講している側からすれば、生徒のために時間を空けてくださっているので、そういう状況は、結構たまったものではないと思うのですが)、とても感謝すべきことでした。
授業内容は、、、本当に、目から鱗が落ちそうな内容ばかりでした。そして、自分の中になんとなくあった、「音楽はこうあるべき」「音楽はこうやって作るのが基本」というのが、良い意味でかなり無くなり、すごく発想が自由になりました。
コアな部分で、ダンス・ミュージックというのは、アカデミックな音楽教育を受けていない人たちが、受けていないからこそ自由な発想で作って進化してきた、そういう部分が、とても多いのです。音楽理論もコードも知らない、楽器も弾いたこともないような人が、リズムマシンなどを手にして、「これをこうやって、ここをこういじったら、こうなって面白いんじゃないか?」という発想からスタートして、段々形になっていった、、そういうケースが、とても多いジャンルです。(もちろん、そうじゃない人もいますが)
その音楽スクールに通うようになってから、たとえばベースの場合、今までは「この箇所は、本物のベーシストだとこうやって弾くだろうから、こういうふうにプログラミングしよう」みたいな部分に、捉われていたところを、もっと大まかに、「ベースとしての、低音を支える役割をしていれば、ある程度何をやってもいい。」というような捉え方で考えればいいのだ、と思うようになりました。
また、ピアノ系の音で、コードを入力する場合でも、たとえば
|Am|F|C|G|
というコード進行があって、ルートはベースが弾くとした場合、通常は、低い方から、
|ラドミ|ラドファ|ソドミ|ソシレ|
と、なるべく人間が弾きやすいように(同じような高さに音符が集まるように)、自然なボイシングを考えて入力していきますが、実は、
|ラドミ|ファラド|ドミソ|ソシレ|
とやるのも、これはこれで、機械的な味が出たりします。そういうのも、ケースバイケースで、どちらかの方法を選択して使えばいい、というように、考えるようになりました。
そして、偶発的にできたフレーズを元にしながら、それを何度も再生しながら、「音楽的にもカッコいいフレーズ」になるよう、微調整していけばいい、ということも覚えました。(その逆もありで、人間っぽいフレーズも、データの位置などを微調整しながら、「機械っぽいけれど音楽的にカッコいいフレーズ」にしていくこともできるのです)
あとは、、リフから作っていくという概念、、、あまり難しく考えずに、数種類のリフを作って、その時の循環コードを把握しておけば、一曲成立させることができるということ、そしてリフのカッコよさが肝ということ、、、これは、昔バンドで演奏し始めた時、洋楽のハード・ロックやヘヴィ・メタルを聴いて衝撃を受けたことにも通じるものでした。
僕は若い頃に、毎週クラブに通って入り浸ったりした経験はなく(数回ありますが)、、また当時の生活スタイル的に、そういうことができる状況ではなかったので、時間を決めて集中的に、必要なことを教えていただいたこと、教えていただける環境があったことは、今思えばすごく有難いことでした。
その音楽スクールの過程を修了した後、ダンス・ミュージックやクラブ・ミュージックに傾倒したり、そちらのコアなジャンルでの仕事が増えたかというと、、、やはり餅は餅屋なので、そういうことはなかったのですが、、なぜか、それまでの自分にはない、意外なジャンルの仕事が多くなりました。アニメ関連、声優さん関連、ゲーム関連の仕事が、激増したのです。(一時期、そちらの仕事ばかりしていました。)
たまたま偶然かも知れませんが、僕はそういう勉強をしたことも、少なからず影響したのではないかと思っています。「四つ打ち」に対する苦手意識も、メロディ、コードを作成する時点で、全ての拍でキックを鳴らすようにしてからは、自然に消えてしまいました。
ちなみに、その頃よく聴いていた音楽は(J-POPや元々好きな音楽以外では)、Kitsune Boombox、Kitsuné Tabloid、Mondo Grosso、Fatboy Slim、Daft Punk、TOWA TEI、Kaskade、Kraftwerk、rei harakami、ケン・イシイ、Aphex Twin etc… でした。まだ、俗に言う「EDM」という音楽が、世間的にそこまできていなかった頃かもしれません。

どうしても「努力してできるようにしよう」という意識が強かったので、自分の中では「忘れやすい」分野なのですが、、やって損はない努力だったと思います。

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