(2005年当時)
それからしばらくして、、ドラマED主題歌の結果が来た。
不採用だった。
自分の曲だから、余計にそう思っていたのかもしれないが、「もうこれで行きたいと思っています!」みたいな勢いを、先方の方から感じていたので(勝手に 笑)、残念な気持ちを、必死で押し殺して、なんでもないように振る舞っていた。
話によると、EDで発注を出していたのだが、諸事情があって、OPになったらしい。
「EDならこっちになったと思うんですが・・・」
おそらく、いろいろ気遣いの入った言葉をかけていただいたのが、せめてもの救いだった。
でも、決まらなければ、そこまで行ったことなんて、世間は何も知らない。最後までやり通して、結果を出して、初めて「努力」だ。「惜しかったね、頑張ったね」が通じるのは、周囲の人たちだけだ。(だから、そういうところを見てくれる人たち、というのは、とても大事なのだ。)
数ヶ月後、そのドラマが始まり、OP曲を聴きながら、なんともやりきれない思いになった。(とても良い曲でした 笑) 嫉妬とか、そういうのはあまりないのだが、ゴール手前で「早く楽になりたい」と思っている時に、またスタート地点に戻されるような、そんな感覚だった。
その通知の後、ほどなくして、アニメ主題歌の結果も来た。こちらも不採用だった。こっちの方は、なんとなくそうかな、と、ちょっと思っていた。もしかしたら、そのアーティストさんが実際に歌ったのかどうかも、分からない。こういうことは実はよくあることだ。
人間、「なんて運がないんだろう、なんて恵まれていないんだろう、なんで努力が報われないんだろう」と思うことは、よくあることだけれど、逆に「えっ、ここでこんなこと起こっちゃっていいの?」という、自分の力以外が働いたラッキーなことも、実は時々起こっている。そのラッキーの裏には、きっと「なんて運がないんだろう・・・」と、理不尽な思いをしている人がたくさんいることだろう。
だから多分、生きていると、良いことと悪いことは、フィフティフィフティで起こっている。でも、ラッキーなことは、誰でも「運じゃない、これが自分の実力だ!」と思いたいから、悪いことの方がどうしても印象に残って、不満が出てしまうんだと思う。
今になって思えば、まだ、自分にとって、ドラマの主題歌なんて、荷が重すぎた。ここでもし決まっていたら、天狗みたいになっていたかもしれないし、「このやり方でいいんだ」と、そこそこの努力しかしなくなっていたかもしれない。頑張っているところも、足りないところも、きっと「空は見ている」んだ。
そんなわけで、その時は結局、1曲採用、という結果になった。その時は、無理して喜ぼうとして、結果、なんとなく周りが気遣ってくれていたような気がする。本当は、1曲でも素晴らしい、感謝すべきことなのに。
(次回) その56 初リリース
(前回) その54 三兎を追う
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