オールディーズの仕事は、様々な音楽に触れるとか、本番に慣れるとか、根性が付くとか、、そういう意味で大変役立っていると実感できていた。
ただ、それから数年後、作曲家としてプロになった時期、音楽的にそこで身に付けた音楽性が、それほど役に立っているような気は、正直に言うと、あまりしなかった。
時代は2000年代の、ちょうどJ-R&Bブームの真っ只中。その中でも僕が入っていたクリエイター事務所は、R&Bやクラブミュージックにひじょうに強いことで定評のあるところで、発注もそっち寄りのものが、圧倒的に多かった。多くのクリエイターさんは、いかにして、洋楽寄りのトラック、メロディを作り、洋楽っぽい歌を録るかに、精力の大半を使っていた。
「すごく自信になった仕事だったけれど、音楽性という部分では、これからの時代、それほど必要とされていないのかな?」
そういう風に思っていた時期があった。
それからまた数年後、、、今後はアイドルブームが到来する。それまでは、アイドルや若い女優さんでも、流行の洋楽っぽいJ-POPを、洋楽っぽい歌唱スタイルで歌う、というのが主流だったが、次第にそういう音楽の勢力分布は小さくなっていった。
そうなると、今度は逆に、
「ああ、今までいろんな最先端の音楽を研究してきたのが、何の役にも立たなくなるのか・・・」
と思うようになった。しかし、時代の流れに合った音楽を作らなければならない。。
そんなある日、昼寝をしながら、AKB48さんのアルバムを聴いていた。AKB48さんは言うまでもなくアイドルの頂点だ。しかし、それまで楽曲をあまりしっかり聴いていなかった僕は、「秋葉原の電気街でかかっていそうな、電波系のアイドルの音楽」というイメージを持っていた。もちろん、有名なシングルは一通り聴いたことがあったが、先入観でそう思っていた。今思えば、何とも勘違いな話だ。
布団に横たわりながら、初めて、大まかな全体像から細部まで、しっかり聴いてみた。(この時点でもはや昼寝ではない) その時、はっきり気付いた。
「これは、、、僕が昔やっていた仕事がベースになっている音楽だ。」
表面的には、その時代の流行りの音を使った、いかにも今時のアイドルっぽい音楽。しかし、ベースになっているのは、オールディーズやダンスクラシック、スタンダード・ポップス、そして古き良き日本の良質な歌謡曲だった。
下地がしっかりしているからこそ、誰でも親しめて、且つ、コアなファンなら深くのめり込めるような、音楽として成立し、アーティストとして成功したのだと思う。
そこから、僕のアイドルの音楽というものに対する見方も、楽曲の作り方、提案の仕方も、随分変わった。実際、その後でAKBグループに提供した楽曲でも、オールディーズの仕事で培った音楽性が役に立った。
たとえば、2015年に、NMB48さんに提供した「サヨナラ、踵を踏む人」は、イントロは「サイモン&ガーファンクル / 冬の散歩道」のイメージで作っている。
Aメロは、郷ひろみさんの「よろしく哀愁」を意識し、また小節数が4の倍数になっていないアイデアは、「TOTO / 99」からヒントを得た。
Bメロは、「帰れソレントへ」のようなカンツォーネのイメージで、そしてサビのCメロは「チェッカーズ / 神様ヘルプ!」のリズムから思い付いた。
ラストのリズムは、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」の終わり方を意識した。(ベートーヴェンは元々好きだったからなのだが 笑)
僕の感覚だが、音楽の流行りは大まかに、10年周期で変わっていて、それもどんどん、全く違う新しいものに変わっているというより、Aというスタイルと、Bというスタイルが、時代に合わせて形を変えながら、交互に繰り返されている、、そういう印象を受ける。
だから、一時的に、今まで努力してやったことが必要でなくなったとしても、、根気よく続けていけば、またその音楽が必要な時代が来る。もちろん、あまり得意でない音楽がある場合は、次に時代までにそれを克服しておく必要がある。そういう意味で、昔やった、膨大なスタイルの音楽は、とても意味のあるものだったと、今では実感する。