作曲における「普遍性」と「時代性」

音楽を作る際、すごく気を付けなければならないと思っていることが、「普遍性」と「時代性」です。

これは、音楽だけに限らず、普段の生活の中でも、大切なことだと思っています。一日一日、いや一秒毎に変化していくこともあれば、また、時代を超えて大切にしていかなければならないこともあると思っています。

自分はどちらかといえば、おこがましいですが、「普遍性」が持ち味のクリエイターだと思っています。子供の頃から聴いてきた音楽も、スタンダード・ポップスやジャズ、日本の歌謡曲だったり、また、プロのミュージシャンを目指し始めてから、まず最初にやった音楽の演奏の仕事も、オールディーズやジャズ、ダンス・クラシック、シャンソンetc… といったジャンルでした。それらの音楽は、今でも身体に染み込んでいます。エレクトーンを習っている過程で好きになったフュージョンや、大学時代に出会った、ハード・ロックやヘヴィー・メタルなども含めたロック全般も、今にしてみれば、普遍的な音楽だったような気がします。

自分はメロディを作る際も、ある程度は「こういうふうに作れば、80点、90点以上にはなる」というノウハウを利用しているのですが、気を付けなければならないのは、そこに固執してしまってはならない、ということです。

確かに、良い音楽を作るための、「セオリー」のようなものは、確実に存在すると思います。自分より若い世代の人が音楽業界に入ってきた時、その方達は、ひょっとしたら、自分達の考えているような「セオリー」通りに、楽曲を作っていない場合も結構あると思います。そうなると、それまでにそれなりに実績を出されている方は「最近の若い人の音楽は・・・」みたいな思考に、つい走りがちになるかもしれません。

しかしそういう、自分たちの「セオリー」の範疇に入らない音楽が主流になっていった場合、、、今度は、何か曲のオーダーが入った時、「こういう〇〇みたいな曲を作ってね」という、リファレンスがクライアントから大抵の場合示されるのですが、その「〇〇みたいな曲」が、自分より若い世代の方の作っている「『セオリー』の範疇に入っていない音楽」になる可能性があるのです。実際そうなります。

そこにジレンマが生まれてきます。自分が「これはまだまだだ」とそれまで(勝手に)思っていた音楽を、ある日を境に手本にしなければいけなくなるのですから。きっと、プライドの高い人や、柔軟に対応できない人は、そこで辞めてしまう人もいるかもしれません。(流行りのアーティストの顔ぶれが少しずつ変わっていく、というのも、この辺りがかなり影響していると思います。)

でも、その中で、どうしたら、そういう時代の変化に対応していけるのか、変わらなければならないところと、逆に残していかなければならないところを、しっかり考えていくことが、長く音楽を仕事として続けていくために、本当に大切なことだと思います。

よく聴いていると、流行りの音楽には、必ずメロディの動かし方やリズムに傾向があって、何度と何度の音の組み合わせでこういうコードとリズムでメロディを動かしたらそういう風に聴こえる、というようなことに気付いてきます。そして、それを要所に利用しながら、それまで培ってきた「印象に残るメロディ」を作るセオリーを使っていけばいいと思います。時には、目立つために、敢えてその逆のことをするのもありでしょう 笑

時代の変化があったからといって、全てそこに合わせてしまうと、今度はそれは「誰でもやっている音楽、むしろ自分より新しい世代の人が自然にやった方がずっとカッコいい音楽」になってしまうような気がします。そこで、「普遍性」が大切になってきます。「普遍性」といっても、実はかなり幅広いものなので、人それぞれに個性があります。時代が変わった時に、その時代に対応する一方で、それぞれの持つ「普遍性」を入れていけば、、すごく自分の個性の生かされる音楽ができるのでは、と思っています。

今まで、そういう、主流の音楽の傾向がガラリと変わるということを、何度か経験したことがあるのですが、自分にとって一番印象的なのは、10年ちょっと前に、AKB48さんを代表とする、アイドルブームが来たことでした。

自分は、J-R&B ブームに入った頃に作曲家を目指し始め、また、最初に入ったちゃんとした事務所も、R&Bや洋楽的な音楽にすごく強い事務所でしたので、やはり「いかに洋楽的なメロディ、質感の曲を作るか」ということに力を注いでおりました。その当時は、アイドルや若い女優さんが歌う歌も、そういうニュアンスの楽曲が結構多く、発注される作曲の案件もそういったものが(少なくとも自分が在籍していた事務所は)ほとんどでした。その頃、僕はあまり編曲はできる方ではなかったので、その分、メロディやコード進行、楽曲全体の世界観の部分で、とにかく「当時主流の洋楽的なニュアンスを出す」ということに、精力を注いでおりました。正直に言いますと、その部分があまり強くない作家さんは、そんなに大したことないのでは、、、ひじょうに浅はかですが当時はそんな風に思う時もありました。

しかし、、、時代が変わって、今度はアイドルブームです。最初僕は、楽曲の表面だけ聴いていて、「ああ、今まで僕が苦労して覚えて身に付けてきたことは、何だったんだろう…」と思い、また採用される楽曲やクリエイターさんの顔ぶれも、それまでとはまた違ったものになっていきました。

そんなある日、ちょっと疲れていた時に、昼寝をしながら、AKB48さんの名アルバム「1830m」を最初からずっと聴いていました。その時、それまでは、自分の作っていた音楽と全く違う「アイドルの曲」と認識していたのが、

「これって、昔僕が演奏していたお店でやっていた音楽だったり、子供の頃に聴いていたスタンダード・ポップスや歌謡曲がベースじゃないか? そう考えれば、全然対応できる、むしろこれは『普遍性』を重視した音楽だ、自分の得意分野じゃないか?」

と思ったのです。特に、井上ヨシマサさん作曲の「Everyday、カチューシャ」という曲に、それを感じました。(この曲、1959年のミュージカル映画「サウンド・オブ・ミュージック」の劇中で使われても全く違和感ないと、個人的に思っています)

時代の最先端を行っていて、自分が今までやってきたことと180度違う、と思っていた音楽が、実は普遍的で、すごく自分の音楽性に近い音楽であったことに気付いた瞬間でした。それと同時に、楽曲を彩っている煌びやかなサウンド、これは「時代性」のものだったので、音色選びがどちらかというとシックになる傾向がある僕は、研究していく必要があると思いました。(アイドルブームと同時に、EDMも主体になりましたが、これには本当に手を焼いて 笑、しかし最低限のことは吸収していきました。あとアニソン、個人的にはこれが一番、エネルギーを消耗するジャンルです 笑)

今はまた時代が変わり、、これからの音楽はこうなるだろう、洋楽は、K-POPは、J-POPは? みたいなこともよく語られていますが、全く知らない、黒船のようなものが襲来する、というよりも、意外とシンプルに考えていくといいように思います。(正直、何を指して洋楽と言われているのか、幅が広すぎて分からない時もありますが)

というのは、音楽の骨格的な部分を見ていくと、今の洋楽は実は、往年のモータウン・サウンド や、80年代のLAの音楽、80年代のユーロビートあたりの音楽を、今の時代に合うものとしてアジャストしているように思えるものも、とても多いからです。そして、日本の往年の「シティ・ポップ」も、昨今の洋楽の形成に、一役買っているように聴こえることがあります。つまり、見方によっては、今のメインストリームの洋楽は、古い洋楽ポップスをベースにしていたり、昔の邦楽の良いところを取り入れたものだとも、考えていくこともできるのです。面白いでしょう 。(「シティ・ポップ」自体が、洋楽の影響を受けて生まれた、と言われてしまえばそれまでですが 笑)

K-POP も、洋楽に似通った部分が大きいですが、やはり独自のものが入っていて、とても面白いです。僕のイメージですが、構成はなんとなく洋楽とJ-POPの中間っぽいですが、コード進行でみると、Bメロは、邦楽ほどガラリと変わるというより、Aメロからの流れの延長上で展開している印象です。サビは、特にマイナー調の曲で、意外と昔の日本人が好みそうなコード進行を使っていることも多い気がします。(かなり十把一絡げで書いておりますので、多少違っていたらすみません)

楽曲のフォーマット(形式)が、洋楽全般と比較して日本はかなり独自である、という話もありますが、僕の知る限り、少なくとも20年くらい前から、その傾向はほぼ変わっておりません。おそらくもっと昔からそうでしょう。楽曲の平均的な長さやイントロが短くなっていることも、よく言われておりますが、これはむしろ、昔主流だったポップスに再び回帰している気がします。でも、そこから外れたとしても、支持を得る音楽を作る方法は、いくらでもあると思います。言葉でいくら言ったって、良いものは自然に支持されていくのですから。

もちろん、オンライン環境などを見ても、今はそれまでと随分形が変わってきているので、今後、日本国内だけを見ても、需要に変化が出る可能性はあると思います。その時はその時で、対処すればいいことでしょう。

最初から「世界(欧米? 韓国?)の主流はこうだけれど、日本は違う。だから日本は遅れている。日本もそうであるべき」という考えもあるみたいで、確かにそれが大切な場面も出てくるかもしれませんが、もしそこを過剰に意識しすぎることによって、ジャンル全体の表現の幅が狭まったり、独自性が薄れていくようなことがあれば(構成が変われば自動的にそうなる可能性はあります)、それはいささか勿体ない気がします。アレンジや音の広がりや奥行きetc… 海外の音楽の優れているところはどんどん吸収つつ、日本独自の良さも残していく、その中で需要の変化に対してその都度柔軟に対処していく、というのが健全だと自分は思います。もちろん、J-POPの中でも、いわゆる世界標準の形式で作っていくことだって自由だと思います。独自のフォーマットがありながらも自由なのがJ-POPなのですから。枠を小さくしない方がいい、いろんなことをやる人がたくさんいる方がいい、というのが僕個人の考えです。おそらくそのスタンスで、良いところを残しつつ徐々に徐々に全体的な変化が見られると思いますが。(ちなみにJ-POPのレコーディングに、海外の伝説的なプレイヤーが参加していることも、普通にあります)

あと、これもよく思うことですが、リスナーではなくミュージシャンの立場にいて、このジャンルやスタイルをやっているからカッコいい、カッコわるい(他の人の、自分と違うやり方に対して「ダサい」という言葉を使うのが、僕は好きではない)というのは、すごくくだらないことだと思います。もし、素晴らしい童謡と、全く耳に残らないけれどお洒落で洋楽的な雰囲気の曲の2曲があって、その比較をどうしてもと要求されれば、僕は間違いなく、その童謡の方がカッコいいと言います。他の人の、作品ではなく音楽スタイルについて否定の形で言及する場合、たとえばメロディやコード進行で構築していくのが時代遅れ(自分は決してそう思いませんが)、、、とかであれば、誰かの威を借るのではなく、まず自分自身がそういうスタイルでも全く正反対のスタイルでも、誰にも負けないものを生み出して世に出して、それが広範囲でそれなりに評価を受けてから言うべきで、それができないかスタイル的にやらないのであれば、人の音楽のことは言うべきではないでしょう。これは演奏の場合も同じです。

そもそも、YouTube のような動画がこれだけ普及している今は、たとえば 2021年の楽曲も1970年代の楽曲も同じ感覚で聴ける時代です。これは新しいこれは古い、これは高尚これは俗っぽい、みたいな考え自体が、ナンセンスになっていくかもしれません。

これだけ幅の広さを持つJ-POP、一応基本はあるけれど「これをやっちゃいけない」というものが実質ほぼない J-POP、、、ものすごい可能性を秘めていると思いますので、できれば、その独自のフォーマットもちゃんと生かしながら、世界に通じるものになっていく、そういうものを作っていければ、と個人的には思っています。それが本当の意味での「多様性」を体現することになるのではないかと思います。

時代は全く違うものに変わっているように見えて、実は形を変えて回っている、と僕は思っています。ルールが変われば形勢も変わります。今、時代が自分に合っていないなあ、と思っている方々も、真摯に取り組み続けていれば、また自分にぴったりな時代が回ってくるかもしれません。(実際、時代が一回りして、再び自分の時代が来ている方々もたくさんいます) そこまで続けるのが大変かなあと思う方もいらっしゃるかもしれませんが 笑 「普遍性」「時代性」を心の隅におきながら、希望を持って一緒に良い作品を作っていきましょう!

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